おかゆの健忘録

不安と鬱の吐きだまり。不安パニックうつとはお友達。退職して通院中のアラサー。

足ツボマットの上を歩く毎日

自分のメンタルは、幼少期から強いとは思ってなかった。
ただ、とても鈍感であることで見ないフリが得意だった気がする。
それは一種の自衛手段だったんだと思う。

嫌なものは絶対嫌だった。
頭でっかちで頑固なのは相変わらずで、
話しても理解してもらえないこともたくさんあった。
だから自分の世界に篭れる、絵を描くとか、本を読むのが好きだった。

人の機微がわからなくて、叱られたこともある。

子供の頃、自分の誕生日会でお友達から髪留めをもらった。
それはとても可愛くて、”妹にとっても似合う”と思った。
私はその場で妹につけたのだ。悪意は全くなかった。
単純に、妹がつけたら可愛い、それを見てるのが自分にとっては一番素敵なことだと感じられたからだ。

今思えば、それをされた友達のことは考えてなかった。
親にとても叱られたのを覚えている。

なぜ叱られているのかその時の自分には理解できなかった。
ただ、友達が悲しそうだった。
それをした自分は「ごめんねをしないといけない」と思った。

今思えば、そりゃそうだろうとわかる。

むしろ人にプレゼントしたり選ぶのが好きな私としては、
同じことをされたらとっても悲しいだろうなって思う。
だから、あの時の友達にはごめんねと時々思い出して唱える。
(もうどこで何をしてるかも知らないけど)

大人になったけど、真の意味で大人なのかはわからない。
全然、子供のままここまで来てしまった気もしている。

やりたくないことは本当に動けない。
学校に行きたくないと言って引きずられて学校に行ったあの時と変わってない。
相変わらず、宿題のプリントはカバンの底に丸まっている。

それでも、そろそろやらないといけない。
”大人”という社会で生きるためには。
”大人”ってなんなんだろうか。

子供のままの大人の皆さん。生きづらくないですか。
この世界は決して地獄ではないけれど、
足ツボマットのうえを永遠に歩いてくださいと言われるような、
そんな気持ちで自分は今生を歩いてます。